よくあるご質問・Q & A 6
※長文になりますので、ブラウザ版でお読みいただ くことを、お勧めします。
Q:私立の受験を考えてます。ここごろで、受験に対応した指導は、できますか??
A:受験レベルの「一歩手前」、基礎力づくりには、ご対応できます。
結論から申しますと、「受験をする一歩前のステップ」。つまり、学習の基礎づくりは可能です。
そもそも、「受験対策」と一言で申しましても、内容は、さまざまです。
「最新の情報を知りたい」「志望校別の対応をしたい」とのご要望でしたら、受験専門の進学塾や家庭教師をおすすめします。
その理由は。
最新の入試問題の傾向把握や、志望校別対策などのノウハウ蓄積では、やはりその道のプロには敵わないからです。
入試問題の傾向は、年々、変わります。
また、その学校特有の傾向、というものもあります。
そういったことは、やはりそれを専門にしてきた大手塾、または受験専門の家庭教師には、どうしたって敵いません。また、それが当教室の強みであるとも考えません。
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ただ、そうは言いましても。
「受験するために進学塾に入ったが、レベルが高すぎてついていけない」
「学校のテストでは、90点以上取れてるのに、なぜ・・・?」
・・・といった、お悩みを感じる方も、多いと思います。
「公立学校の成績上位レベル」 → 「進学校の入試問題レベル」
この二者は、実は想像する以上に、隔たり、ギャップがあるのです。
その違いは、何か?それは・・・
「テクニック」の差です。「知識」の差ではありません。
受験で求められる算数的知識は、 ざっくり言えば、公立学校で教わる内容とたいして変わりません。つまり、すでに教科書に載っている内容なのです。
大事なのは、それを、その知識を「どう使いこなすか」です。
そのテクニックの有無なのです。
そのためには、すでに習ってるはずの教科書に載ってる内容を、「さらに深く」熟知し、理解することが求められます。それが受験算数の「基礎体力」となります。
ここごろの強みは、この「基礎体力」づくりにあります。
つまりベースは、あくまで、公立学校における学校算数の指導です。
すでに教わっているはずの「基礎・基本」を、さらに一歩深く、習熟させることです。
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「基礎は学校で習ってるのだから、あえて教わり直す必要はないのでは?」
そうお考えの保護者様も、多いことでしょう。
はい、おっしゃる通りです。
「本当に」基礎基本が習得できてるのなら、わざわざここごろを使わなくても、進学塾の指導についていけるはずです。
しかし、現実には、先ほどあげたような「つまずき」のケースがある。
なぜか。
「理解したつもりでいる」ことと「本当に深く理解してる」ことは、似ているようで、まったく別問題だからです。
さらに言いますと。
その「つまずき」の理由は、2つ。
「教科書の内容の、理解不十分」「日々の学習リズムができてない」
この2点です。
ここごろでは、この2点の補強、深化を行います。
それが、結果として「公立学校レベル」と「受験レベル」のギャップを埋める。
つまり、「つまずき」の原因を克服することになるのです。
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・・・ということは?
言い換えますと。
「受験算数」といっても、べつに「公立学校の算数と別次元の内容を扱うわけではない」
ということです。
じつは、受験で求められる知識技能そのものは、学校算数のそれと大きく変わりません。
どちらも、ベースとなってるのは、文科省から出ている学習指導要領。
それを逸脱したような内容を入試で求められることは、それほど多くありません。
ためしに、受験対策の参考書や問題集を、調べてみてください。
それぞれの問題を解く前提知識・技能の大半は、ちゃんと小学校6年間分の教科書に載ってます。
そもそも、いわゆる難関校、名門校と呼ばれる学校の多くは、真新しい知識だけをただたくさん知ってるだけの、「物知り」「頭でっかち」な生徒を、求めていません。
持ってる知識を自由自在に「使いこなせる」知恵や、想像力、応用力の豊かな生徒を求めているのです。
それこそが、
「先の見えない時代の変化にも、柔軟に強靭に対応する」力の素地なのです。
本当の意味で、「生きる力」となるのです。開花するのです。
名門校、優秀な学校というところは、そういう教育をしたがっている。
そういう人材を育てたがっているのです。
だから、必要なのは、「知識」じゃありません。
「知識」を使いこなす「テクニック」、「スキル」なのです。
そのテクニック、スキルを磨くこと自体は、そういったトレーニングを専門とする集団塾や、あるいはその道のプロ家庭教師に学んだ方が、断然、効率的です。
先ほど、ワタシが他塾・教室を勧めたのは、そういうことです。
繰り返しになりますが、「ここごろの強み」は、その「一歩手前」。
つまり「学校で教わった基礎基本を、さらに深く理解するのを助けること」にあります。
実は、それは「教科書レベルの問題を解き直す」ことで、十分可能です。
ただし、ただ漫然と解くのではありません。
それぞれの問題の本質となる「ホシ」「ポイント」を見抜く目を、養うことです。
それには、同じ問題を指導するのにも、独特の切り口や教え方が必要となります。
ここごろは、それを提供します、ということです。
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ご質問へのお答えは、以上となります。
さて、このあとは、余談です。
まあ、「余計なお世話」な内容なので、この先は、読まなくても大丈夫です。
受験をする上での、マインドや、モティベーションのお話。
ついでに、ちょこっとだけ触れておきましょうか。
うさん臭くならない程度に。
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「受験」といえば、どうしても「勝ち負け」にこだわります。
それはそうです。試験なのですから。
試験という勝負事。いわば「競技」。
その競技に勝ち残るために、お金も、時間も、投じるわけですからね。
だから、
「絶対合格したい」
「合格できる、100%の保証を得たい」
そう求めるのも、無理のないことでしょう。
しかし、受験という「勝負事」に、そもそも、「絶対」なんて存在しません。
どんな実力があったって、落ちる時は落ちる。
逆に、運よく受かる時だってある。
まさに「勝負は時の運」。
それを「100%合格を保証します」なんて言い切れる塾や先生などは、多分、いないと思います。
また、「受験の勝利」イコール「将来や人生の勝利」などでは、断じてありません。
それは、まったくの錯覚です。
多くの教育者も同様に語ってます。
ただ、そうはいっても。
それぞれのお子さんが、どんな気持ちで受験をしようと、それは自由です。
何を考えてようが、どういう目的でいようが、勝てばいい。合格すりゃあいいのです。
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ただ一方で。
その「マインド」の持ち方が、人生を大きく変えてしまうのも、また事実です。
「不合格」という結果に、人生に絶望し、思い詰めてしまうお子さんだっている。
「学びとは何か」というものを誤解したまま遠い将来まで引きずり、未来の過ちの遠因としてしまう場合だってある。
もちろん、その逆だって、あるでしょう。
そういう前提の上で。
では、ここごろは、何を目指すのか?
何にこだわるのか?
それは
「『受験』というきっかけを通して、『生きる力』そのものを育てること」
です。
受験に対する勝ち負け自体は、確かに大事ではある。
でも、人生を決定づけるものではない。
所詮は、人生の「一通過点」にすぎないのです。
だからこそ。
勝って驕らず、負けて腐らず。
そういう大局観というか、人生そのものを俯瞰しておおらかに、柔軟に捉えていく。
そういった価値観を育てていくことこそ、ここごろの目指したいものです。
ただし、だからといって、説教くさい徳目を並べ立てたりとか、そんなことはしません。
うちはあくまで「算数(かき方)教室」。
算数を教えるサービスであり、精神論を語るサービスではない。
では、どうやって、マインドというものを育てていくのか?
・・・・まあ、マインドってそもそも、「意図して育てる」っていうものではなく、「自然にそう育ってしまう」ものだと思うのではありますが・・・・
ま、それを承知の上で、強いて言うならば。
日々の「何気ない」「無数の」「自然体の」小さな励まし。小さな言葉かけ。
それらを日々、瞬間瞬間、重ねていくこと。
その中で、お子さんと指導者とが感化・触発しあい、醸成されていくものだと思います。
「80点でいいんだよ」
「次につながる80点と、つながらない80点がある」
「次につながる80点を積み重ねていけばいいんだよ」
「勝負は時の運。通過点だよ。常に『次に繋げる』ことを意識しよう。」
・・・例えば、こういった、何気ない言葉を、積み重ねていくこと。
それによって、こどもは励まされもする。
また、同じセリフだって、一つ間違えれば、誤解を生む。
あるいは、お子さんの油断を生むかもしれない。
結果的に、お子さんを傷つけてしまうかもしれない。
だからこそ、指導者は「口先だけの言葉に酔っている」ヒマはありません。
こどもたちの心の状態を、指導者は、敏感に、リアルタイムで感じ取っていかねばならない。
その上で「今、この瞬間だからこそ、その子に必要な」言葉を、心をこめて、かけていきたい。
そういった「人間としての心」は、どこまでも大事にしていきたいものですね。
看板は「算数」教室であっても、その基盤となっているのは、あくまで人間の心。
「心こそ大切」という理念は、どこまでも見失わず、いきたいものです。
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・・・とまあ、最後は、いささか精神論的になってしまいましたが。
ただ、こういった理屈というか理念は、誰だって何かしら、持っていると思います。
しかも、それって、おのずと、子どもに伝わっちゃうものです。
指導者本人が、意識するか・しないか、にかかわらず、です。
サッカーの指導であろうと。
ピアノ、体操、水泳、書道、武道・・・いずれの道であろうと。
教育行為とは、そもそも、そういうものなのだ、ということです。
