top of page

よくあるご質問・Q & A 6

※長文になりますので、ブラウザ版でお読みいただくことを、お勧めします。

Q:私立の受験を考えてます。ここごろで、受験に対応した指導は、できますか??

​A:受験レベルの「一歩手前」、基礎力づくりには、ご対応できます。

 結論から申しますと、「受験をする一歩前のステップ」。つまり、学習の基礎づくりは可能です。

 そもそも、「受験対策」と一言で申しましても、内容は、さまざまです。

 「最新の情報を知りたい」「志望校別の対応をしたい」とのご要望でしたら、受験専門の進学塾や家庭教師をおすすめします。

​ その理由は。​

 最新の入試問題の傾向把握や、志望校別対策などのノウハウ蓄積では、やはりその道のプロには敵わないからです。

 入試問題の傾向は、年々、変わります。

 また、その学校特有の傾向、というものもあります。

 そういったことは、やはりそれを専門にしてきた大手塾、または受験専門の家庭教師には、どうしたって敵いません。また、それが当教室の強みであるとも考えません。​

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ​

​ 

 ただ、そうは言いましても。

 「受験するために進学塾に入ったが、レベルが高すぎてついていけない」

 「学校のテストでは、90点以上取れてるのに、なぜ・・・?」

・・・といった、お悩みを感じる方も、多いと思います。

 

  「公立学校の成績上位レベル」 → 「進学校の入試問題レベル」

 この二者は、実は想像する以上に、隔たり、ギャップがあるのです。

 その違いは、何か?それは・・・

 「テクニック」の差です。「知識」の差ではありません。

 

 受験で求められる算数的知識は、 ざっくり言えば、公立学校で教わる内容とたいして変わりません。つまり、すでに教科書に載っている内容なのです。

 大事なのは、それを、その知識を「どう使いこなすか」です。

 そのテクニックの有無なのです。

 そのためには、すでに習ってるはずの教科書に載ってる内容を、「さらに深く」熟知し、理解することが求められます。それが受験算数の「基礎体力」となります。

 ここごろの強みは、この「基礎体力」づくりにあります。

 つまりベースは、あくまで、公立学校における学校算数の指導です。

 すでに教わっているはずの「基礎・基本」を、さらに一歩深く、習熟させることです。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ​

 「基礎は学校で習ってるのだから、あえて教わり直す必要はないのでは?」

 そうお考えの保護者様も、多いことでしょう。

 はい、おっしゃる通りです。

​ 「本当に」基礎基本が習得できてるのなら、わざわざここごろを使わなくても、進学塾の指導についていけるはずです。

 

 しかし、現実には、先ほどあげたような「つまずき」のケースがある。

 なぜか。

 「理解したつもりでいる」ことと「本当に深く理解してる」ことは、似ているようで、まったく別問題だからです。

​ 

 さらに言いますと。

 その「つまずき」の理由は、2つ。

   「教科書の内容の、理解不十分」「日々の学習リズムができてない」

 この2点です。

 ここごろでは、この2点の補強、深化を行います。

​ それが、結果として「公立学校レベル」と「受験レベル」のギャップを埋める。

​ つまり、「つまずき」の原因を克服することになるのです。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 ・・・ということは?

 言い換えますと。

 「受験算数」といっても、べつに「公立学校の算数と別次元の内容を扱うわけではない」

​ 

ということです。

 

 じつは、受験で求められる知識技能そのものは、学校算数のそれと大きく変わりません。

 どちらも、ベースとなってるのは、文科省から出ている学習指導要領。

​ それを逸脱したような内容を入試で求められることは、それほど多くありません。

 ためしに、受験対策の参考書や問題集を、調べてみてください。

 それぞれの問題を解く前提知識・技能の大半は、ちゃんと小学校6年間分の教科書に載ってます。

 そもそも、いわゆる難関校、名門校と呼ばれる学校の多くは真新しい知識だけをただたくさん知ってるだけの、「物知り」「頭でっかち」な生徒を、求めていません。

 持ってる知識を自由自在に「使いこなせる」知恵や、想像力、応用力の豊かな生徒を求めているのです。

​ それこそが、

 「先の見えない時代の変化にも、柔軟に強靭に対応する」力の素地なのです。

 本当の意味で、「生きる力」となるのです。開花するのです。

 名門校、優秀な学校というところは、そういう教育をしたがっている。

 そういう人材を育てたがっているのです。

 だから、必要なのは、「知識」じゃありません。

 「知識」を使いこなす「テクニック」、「スキル」なのです。

 そのテクニック、スキルを磨くこと自体は、そういったトレーニングを専門とする集団塾や、あるいはその道のプロ家庭教師に学んだ方が、断然、効率的です。

 先ほど、ワタシが他塾・教室を勧めたのは、そういうことです。

 繰り返しになりますが、「ここごろの強み」は、その「一歩手前」。

 つまり「学校で教わった基礎基本を、さらに深く理解するのを助けること」にあります。

 実は、それは「教科書レベルの問題を解き直す」ことで、十分可能です。

 ただし、ただ漫然と解くのではありません。

 それぞれの問題の本質となる「ホシ」「ポイント」を見抜く目を、養うことです。

 それには、同じ問題を指導するのにも、独特の切り口や教え方が必要となります。

​ ここごろは、それを提供します、ということです。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 ご質問へのお答えは、以上となります。

 

 さて、このあとは、余談です。

 まあ、「余計なお世話」な内容なので、この先は、読まなくても大丈夫です。

 受験をする上での、マインドや、モティベーションのお話。

 ついでに、ちょこっとだけ触れておきましょうか。

 うさん臭くならない程度に。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 「受験」といえば、どうしても「勝ち負け」にこだわります。

 それはそうです。試験なのですから。

 試験という勝負事。いわば「競技」。

 その競技に勝ち残るために、お金も、時間も、投じるわけですからね。

 だから、

 「絶対合格したい」

 「合格できる、100%の保証を得たい」

 そう求めるのも、無理のないことでしょう。

​ しかし、受験という「勝負事」に、そもそも、「絶対」なんて存在しません。

 どんな実力があったって、落ちる時は落ちる。

 逆に、運よく受かる時だってある。

 まさに「勝負は時の運」。

 それを​「100%合格を保証します」なんて言い切れる塾や先生などは、多分、いないと思います。

​ また、「受験の勝利」イコール「将来や人生の勝利」などでは、断じてありません。

 それは、まったくの錯覚です。

 多くの教育者も同様に語ってます。

 ただ、そうはいっても。

 それぞれのお子さんが、どんな気持ちで受験をしようと、それは自由です。

 何を考えてようが、どういう目的でいようが、勝てばいい。合格すりゃあいいのです。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 ただ一方で。

 その「マインド」の持ち方が、人生を大きく変えてしまうのも、また事実です。

 「不合格」という結果に、人生に絶望し、思い詰めてしまうお子さんだっている。

 「学びとは何か」というものを誤解したまま遠い将来まで引きずり、未来の過ちの遠因としてしまう場合だってある。

 もちろん、その逆だって、あるでしょう。

 そういう前提の上で。

 では、ここごろは、何を目指すのか?

 何にこだわるのか?

 それは

 「『受験』というきっかけを通して、『生きる力』そのものを育てること」

 です。

 受験に対する勝ち負け自体は、確かに大事ではある。

 でも、人生を決定づけるものではない。

 所詮は、人生の「一通過点」にすぎないのです。

 だからこそ。

 勝って驕らず、負けて腐らず。

 そういう大局観というか、人生そのものを俯瞰しておおらかに、柔軟に捉えていく。

 そういった価値観を育てていくことこそ、ここごろの目指したいものです。

 ただし、だからといって、説教くさい徳目を並べ立てたりとか、そんなことはしません。

 うちはあくまで「算数(かき方)教室」。

 算数を教えるサービスであり、精神論を語るサービスではない。

 では、どうやって、マインドというものを育てていくのか?

 ・・・・まあ、マインドってそもそも、「意図して育てる」っていうものではなく、「自然にそう育ってしまう」ものだと思うのではありますが・・・・

 ま、それを承知の上で、強いて言うならば。

 日々の「何気ない」「無数の」「自然体の」小さな励まし。小さな言葉かけ。

 それらを日々、瞬間瞬間、重ねていくこと。

 その中で、お子さんと指導者とが感化・触発しあい、醸成されていくものだと思います。

 

 「80点でいいんだよ」

 「次につながる80点と、つながらない80点がある」

 「次につながる80点を積み重ねていけばいいんだよ」

 「勝負は時の運。通過点だよ。常に『次に繋げる』ことを意識しよう。」

 ・・・例えば、こういった、何気ない言葉を、積み重ねていくこと。

 それによって、こどもは励まされもする。

 また、同じセリフだって、一つ間違えれば、誤解を生む。

 あるいは、お子さんの油断を生むかもしれない。

 結果的に、お子さんを傷つけてしまうかもしれない。

 だからこそ、指導者は「口先だけの言葉に酔っている」ヒマはありません。

 こどもたちの心の状態を、指導者は、敏感に、リアルタイムで感じ取っていかねばならない。

 その上で「今、この瞬間だからこそ、その子に必要な」言葉を、心をこめて、かけていきたい。

 そういった「人間としての心」は、どこまでも大事にしていきたいものですね。

 看板は「算数」教室であっても、その基盤となっているのは、あくまで人間の心。

 「心こそ大切」という理念は、どこまでも見失わず、いきたいものです。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 ・・・とまあ、最後は、いささか精神論的になってしまいましたが。

 ただ、こういった理屈というか理念は、誰だって何かしら、持っていると思います。

 しかも、それって、おのずと、子どもに伝わっちゃうものです。

 指導者本人が、意識するか・しないか、にかかわらず、です。

 サッカーの指導であろうと。

 ピアノ、体操、水泳、書道、武道・・・いずれの道であろうと。

 教育行為とは、そもそも、そういうものなのだ、ということです。

bottom of page