【指導風景003】
- job goro
- 4 日前
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前にも紹介した、「宮本算数教室の賢くなるパズル」。
これを自主学習の課題にしている、お話。
私は、解いた答えだけではなく、メモ書きの方をよく見るようにしています。
この写真でいうところの、上の問題文の周辺ですね。
これは、まさにその子の思考の足跡。
答えが合っているかどうか、よりも。
ここがしっかり書けていると、答えより大きなマルをあげてます。
答えも大事だけど。
それ以上に、「考えたあしあと」を大事にする。
ここごろは、そんな指導をしています。

※自主学習の自由選択教材の一例として、紹介させていただきます。
※出版元様の許諾を得た上での、紹介です。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
・・・と、ここで終わってしまってもいいのですが。
蛇足ながら、教師時代のお話を少々。
かつて、私が小学校で算数を教えていた頃、こう声かけしてました。
「必ず、途中の計算は書き残しておくんだよ」
と。
途中の式や計算を書かないお子さんは、結構、多いです。
ともすれば、「答えだけの方がきれいだから」と、テストの答案で途中計算をわざわざ消しているお子さんも、いました。
思考のプロセスを書き残しておくと、後から振り返ることができます。
自分で、自分のミスに、気づけたりするものです。
これは、算数に限らないのですが。
何事も、成長に行き詰まっている時というのは、
「何がわからないのかが、わからない」
という場合が多いのです。
「え、何を言ってるの?」と、聞いた瞬間は感じるかもしれませんが。
いえいえ、その子の言ってることは、ちゃんと的を射てるのです。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
もっというならば。
答案の書き方も、変わってきます。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
問題。「15人の子どもが、1きゃくあたり4人がけのベンチにすわっていきます。全員すわるには、ベンチは何きゃく、いりますか。」
解答例1:15÷4=3あまり3 答 4きゃく
・・・いかがでしょう。確かに正答ではありますが。
「なんで3が4に1ふえてるの。」
「3って、どっちの3?(商の3?あまりの3?)」
と、すぐに感じますよね。
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これを、さらに丁寧に答えると。
解答例2:15÷4=3あまり3 3+1=4 答 4きゃく
・・・おお。3+1=4が加わりましたね。
解答例1より、ちょっと丁寧な感じもしますかね?
(ちなみに、実際のテストでは、これで十分にマルをもらえるはずです)
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さらに詳しく答えると?
解答例3:15÷4=3あまり3
(商が3なので)4人すわれたベンチは3きゃく。
(あまりの3は、まだすわってないので)
3人がすわるベンチがあと1きゃくいるから、
3+1=4 答 4きゃく
・・・まあ、詳しく書こうと思えば、ここまで書けるわけです。
(実際、そういうお子さんもいました)
ただし。
ここで私がこう申すと。
もしかしたら、こうお感じになる方も?
「テストは解答2で正解なのだから、解答例3はやりすぎなのでは?」
「そんなに長く解答していたら、時間がかかって、入試など時間制限があるときはむしろ不利になるのでは?」
・・・などなど。
おっしゃることも、もちろん一理あります。
もちろん、その疑問に、私なりの見解をお答えすることも可能ですが。
ただ、ここでは、その問答をすることがねらいではないので、あえて申しません。
どっちが正しいとか、違うとかは、皆様の感じるままで結構だと思います。
その前提の上で。
では、なぜ私がこんな教え方をしているのか。
それは、
「考えることを楽しんでいる姿勢というのは、どういう姿なのか?」
「テストで正答すること、マルをもらうことが、算数の究極目標なのか?」
ということを、ついつい私は考えてしまう。
すると、自ずと、先に述べたような声かけになってしまうのです。
実際、授業の中でも、
「マルつけしてくれるおとなの人に、説明してあげるように、答えてごらん」
と、よく声かけをしていたものでした。
詳しく書いても書かなくても、テストの得点自体は、変わらないかもしれない。
タイパとか、試験時間の戦略的配分とか計算するならば、むしろ詳しく書いているのは時間のムダ、という考え方も、あるかもしれない。
しかし。
そのテストが終わった、その先の時間や人生において。
「その子自身が、算数の楽しさそのものを感じ続けてくれるだろうか?」
なんて、余計なこと?を、ついつい考えてしまうのです。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
・・・最初のパズルの話から、それてしまいましたね。
しめくくりましょう。
ともあれ、ここごろは、そんな教師・・・もとい、そんな指導者です。
私のやり方が、究極だとか、絶対正義だとか、言うつもりは全くありません。
「私なら、そうします」
というだけのことです。
2026.4.15





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