【私見】「先生は間違う」【指導理念】
- job goro
- 4月25日
- 読了時間: 3分

・・・あらら?
なんだか妙な、絵が出てきてしまいましたね。
昨日の指導の内容をもとに、ブログのカットにしようと思って。
絵を作ってもらったつもりが・・・
でも、ま、いいや。
この方が、私のやりたいことを表してる気がする。
というわけで、そのまんま投稿。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ま、それはさておき。
AIでさえ、間違う時代。(一般的な話として)
ましてや、教師とか、先生とか言われる人間が「間違う」のは、当然。
そりゃそうだ。
所詮は、人間なんだから。
しかし。
この当たり前すぎることが、なかなか世間的には認識されない。
なぜだろう?
考えたんだけど・・・
そもそも教師自身が、認めようとしてないのでは?
「自分が間違う存在なんだ」ということを、ね。
ま、全ての、とは、言いませんが。
もっというと。
教師が、「間違う」ということ=「恥」だと感じてるのでは?
・・・いやいや教師だって人間だから、間違うでしょう。
それを、「間違わないものだ」という前提に立ってること自体、
思い上がってるんじゃないでしょうかね?
「間違った」事実より、
「自らが、時に間違う存在なんだ」という事実を、
認めようとしないこと。
それって、すごく偽善的というか、傲慢に感じるよ。
私は、ね。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
あと、これ。
・社会全体として、お互いが「完璧」を自他ともに求めようとしているのでは?
なんか、そういう風潮、強い気がする。
ま、日本についての話・・・なのかなぁ?
寛容性に乏しい、というか。
でも、そもそもさ。
社会常識だって、時代と共に変わる。
歴史だって、研究が進めば、かつての認識が覆ることも。
そうなんだ。
間違うものなんだよ。
他人も。自分も。
でも、それを、まず自ら認めようとしてない、とすると・・・
結局、自分を苦しめることになるのでは?
まさに、自縄自縛、というやつ。
「プロのくせに」と責められる?
「教師のくせに」と責められる?
「〇〇のくせに」と責められる?
それを恐れて、人を責めなかったとしても、
気がつけば、自分に完璧を求めてる。
私も、かつてはそうだったかな?
でもその考えって、
やがて、自分で自分を苦しめるんだよね。
「そういうの、もう、やめにしない?」
ある時から、自分に、そう問いかけるようになった。
できることは、できる。
できないことは、できない。
それを、はっきり認めることが、
「誠意」ってものじゃないかな。
できないのに、できるフリをする。
できてないのに、できてると錯覚してる。
・・・これは、さすがに、まずいでしょう。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
だから、私も。
受験指導とか、求めてくるお子さんもいるかもしれないけど。
多分その時は、ハッキリ言っちゃうと思います。
「合格は保証できませんよ」
もっというならば。
「テストの点数を上げることは、第一目的ではありません」
理由はシンプル。
うちの教室の目指すものと、目的が異なるから。
私は、お子さん自身の心の中に、
「学ぶ喜びが育つのをお手伝いしたい」
ってのが、最大の目的だから。
「みずから学ぶを、おうえん」。
まさに、キャッチコピーの通りなんですよ。
終始一貫して、当教室の、そして私の、
残りの人生でやりたい、教育のテーマですので。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
こんなこと言ってると、お客様が離れてしまうかもね・・・。
でも、仕方ないよね。
自分にウソはつけないから。
自分のやりたいことを、自分でごまかしたりできないから。
そういうことをやっちゃうと、
いつか本末転倒になっちゃう。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
まあ、そんなうちの教室の価値観に、
共感してくれる方が、
日本のどこかで、
1人、また1人と
うちの教室のドアを、叩いてくれるといいなぁ。
2026.4.25




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