top of page

家庭教師になってよかったこと・・・

  • 執筆者の写真: job goro
    job goro
  • 5月18日
  • 読了時間: 4分

家庭教師になってよかったこと。

よくよく思い出してみると、いっぱいある。

それこそ、いっぺんに思い出せないくらい。


①1対1で、お子さんと応答し合えること。

小学校の教師を20年以上やってみて、初任の時以来、つらかったこと。

なんと、意外にも、「指名」と「挙手」をすること。

だって、「発表したい」って子が同時に何人も挙手してるのに、

その中から、1人だけを選んで指名するのって・・・。

「当ててもらえなかった子の気持ちは?」

って、つい反射的に考えちゃう。

やはり、お子さんたちに、「ハズレくじ」を引かせるのって、

ちっちゃいことなんだけど、ズキっと、心が痛むものだ。


だから、ある時期から「指名なし発問」ってのをずっとやるようになって。

まあ、ワタシの「逃げ」といえば「逃げ」だったのかもしれないが。

でも、それはそれで、1人のお子さんが1人しか指名できないから、

「最後まで残っちゃった子の気持ちは?」

って考えると、結局、悩み自体はあまり変わらなかったのだが。


その点、とにかく、今は気楽である。

家庭教師は、指名をする必要がないのが嬉しい。

問いかけたい時は、お子さんに、すかさず問いかける。

多分、30分の指導の中で、何回、何十回も、問いかけてるだろうか。

もちろん、お子さんも、心の準備どころか、自然体で応答している。

思いのままに、素直に反応できる。

わかんない時も、「・・・」って、素直に沈黙できる。

その姿を、他の誰にもみられてない。

そこが、いい。

もちろん、人前で発表するとかいう経験も、それはそれで価値あるものだが。

様々な学習場面の中では、

ときに、そのプレッシャーが、アダになってしまう場合もある。


②お子さんのペースに合わせられること。

たとえば、九九が理解できてない子がいるのを、わかっていながら・・・

やむなく、九九が「分かってること前提」で、授業を進めねばならない。

教師をやってた頃は、そんなジレンマが、心苦しさが、あった。

教師は、1年間あるいは1単元の中で、教える時間に使える標準配当時数が決まってる。

それを超えてしまうと、1年間で教える内容が教え切れず終わってしまう。

あるいは、他の教科の時間にシワ寄せがいく。

だから、そうせざるを得ないのだ。


もちろん、つまずきや遅れのある子たちに、

あの手この手でフォローしようとたこともあった。

ある時は、進めるべき内容をあえて足踏みさせて、復習に使ったり。

あるいは、ちょっとのスキマ時間とかを使ったり。

だけど、振り返ると。

どうしても中途半端になってしまった。

長続きしないのだ。

他にもやるべきことが多い学校生活の中で、

無理やり時間をこじ開けるのは、どうしたって限界がある。

だから、残酷な言い回しをするならば、

「分かっているのに、置き去りにしていかるを得ない」

そういう罪悪感が、常につきまとっていた。

10年前の教え子さんであっても、

いまだに申し訳なく思っているくらいだ。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 


その点、家庭教師は、いい。

その子がつまずいている内容に、誰にも気兼ねなく、立ち戻れる。

年間指導計画や配当時数を気にすることもない。

苦手箇所を、とことん反復練習したっていい。

そうやって考えると、ふと、気づく。

そもそも、「学び」ということに、早いも遅いもないんだ、って。

学びのスピードなんて、国や他人が決めたこと。

純粋に学ぶ喜びをつかんでもらいたいのなら、

時間や人目を気にせず、

お子さん本人なりのペースで、どっぷり学び切ってもらいたい。

いっけん、遠回りのようだが。

けっきょく、それが、イチバンの近道だったりする。

今、家庭教師として教えていて、それがとてもよく実感できるのだ。


ちょっと話は、外れるが。

算数で、わからないことが出てきたら?

わかるところまで立ち返ること。

これが、算数がトクイになるための、大原則ともいえるコツだ。


ひきざんでつまずくなら、たしざんまで。

わり算でつまずいたなら、かけ算まで。

学年や人目を気にせず、さかのぼって、思い出す。

これが、不可欠だ。

算数は、「積み上げの教科」なのだから。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 


いやぁ、まだまだ、いろいろ見つかる。

たった2つどころじゃない。


もちろん、今まで長らくやってきた、教師という仕事の楽しさも。

それはそれで、いまだに忘れちゃいない。

ましてや、教師の存在意義や、集団教育の価値を否定する気持ちも無い。

むしろ、学校という存在がなくては、家庭教師の存在意義すら薄れてしまう。

そう、本音で思っているくらいだ。


ただ、教育という広い世界において、

「集団」で子どもを育てる経験ばかりだった私にとっては、

家庭教師という「個人指導」の世界は、なんとも新鮮な発見に溢れてる。

家庭教師の仕事は、「ティーチング」というより「コーチング」だ。

これが、ワタシにとっては、実に性分に合っている。

1日中考えてても、全く飽きないくらい、

今、ワクワクしているのだ。


2026.5.18



コメント


bottom of page